左から伴四郎、五郎右衛門、叔父の平三、民助、直助


万延元年、江戸へ初の単身赴任をする主人公は
紀州藩下級武士、酒井伴四郎。
彼の藩邸での日常が手に取るように分かります。
万延元年時点で28才という事だそうで、逆算
すると1832年生まれ、桂さんより一つ上です。
あまりにもこの方の日記が面白いので、私が特に
笑った箇所をかなり修正(略したり)してピックアップ。
筆者(青木直己氏)のコメントは赤で示しています。
黒は私のコメント。



酒井伴四郎
紀州藩下級武士。美味しいもの大好き。料理は得意。倹約家。

宇治田平三
紀州藩下級武士?膳奉行格衣紋方。お殿さまの装束の責任者。
伴四郎の上司でもあり叔父様でもある。ちょっとルーズな性格。

大石直助
紀州藩下級武士。禄高は伴四郎よりも少ない。時々伴四郎の髪を
結いプチアルバイトをしている。米を焚くのが下手。
なお、上記3人は同じ役職、同じ部屋です。

民助
『毎朝毎晩訪ねて来るが、煙草をたかってばかりで、煙草のみの
くせに煙草入れを持参した事がない』by 伴四郎

どうやら伴四郎たちより一足先に江戸にいた友人のようです。
ちょくちょく日記に登場するトコロを見ると、そうとうの仲良し。
しかし、彼もちょっといい加減な…おおざっぱな性格くさい。

矢野五郎右衛門
紀州藩下級武士。御小人という役職。
彼の名前も日記に多く出て来てきます。
かなり親しい中なのか『色々あほ咄』をする間柄。



6月20日
前日の状に安藤え菓子など持参にて参るべしと申来これあるゆえ、 為吉を菓子屋へ見に遣り候ところ、思はしき菓子もなく、そのまま帰り、 また後程見に行つもりにいたし候(略)

為吉は従者です。江戸到着後、紀州藩徳川家のの付家老という<
エリート族の安藤家へお菓子を持って御挨拶に行こうとしました。
為吉にお菓子の下見をしてもらったのですが、いいのがなく明日
見に行こうとしています。これは普通の日記ですが、この後日談
が面白いんですよ。翌日21日に安藤屋敷へ訪問予定だったのですが
四ッ谷の稲荷神社と祇園天王両神社の神輿見学の為延期しています。
どうもこのへんはいいかげんなようです。
ホントだね、青木さん(笑)上司への挨拶を神輿見学のため延期
しちゃうだなんてねぇ…





7月8日
八ツ時過民助御鷹の餌物鳩持参いたし、早速焚皆々打寄喰、 何れもめし、予酒呑、夕方より例の方へ行、帰りかけ、上総屋 へ寄り内儀に洗濯賃わたし(略)

将軍家と紀州、尾張、水戸の御三家は江戸での鷹狩りが許されて
いました。特別な大名に許された特別な権利、鷹狩り。
当然『鷹』も特別な生き物で、その餌となる鳩は大切な存在。
それを皆で食べちゃった!!(笑)





10月1日
終日雨天、昼ににしんかやくにてごもく寿しいたし候、さて具は皆 予か刻み、煮付け等いたし、飯を焚かけ候ハハ、直助焚候と申候ゆえ 任せさせ候えは、大に不出来なる飯を焚、寿し大に不塩梅に候えども、 仕方なく喰仕廻、予に任させ候ハハ宜寿し致し候もの、(略)夜四ツ時 頃予昼の飯のこげにて粥を焚皆々食いたし申候

五目寿司を作るぞー!さぁて、具は全部オイラ伴四郎が刻んで
煮付けまでしちゃうぜ☆そろそろご飯を炊こうかな…え?
直助が炊いてくれるのか?じゃぁまかせようかなっ!!
・・・で、任せたらものっすごい不味い炊きあがりになって
しまったというオチです(笑)五目寿司のご飯が不味い…
ベースが不味いならどう具が美味しくったって不味いもんは
不味いんだよ。
さて不出来な飯の運命ですが、粥となって皆の夜食になっています。





10月18日
(略)七ツ時過帰着、(略)さて飯を喰候ハハ、はなはだ不出来なる飯にて 粥の不出来を喰うような飯、さて江戸着以来直助の焚飯は始終粥めし、 予焚飯は始終強めし。

江戸へ来てからというものも、直助の炊く飯は粥のようだ・・・
どうも直助のご飯は『はなはだ不出来』らしいですね(笑)





7月28日
(略)昼頃隣り児玉より予に阿じ(あじ)の干物弐拾五程くれ、 昼飯に此程のこんぶの残りを菜に煮候ところ、また叔父様に半分 取らるる、(略)夕飯に皆茶漬喰ひ、干物はまた明日昼飯さいにいたさんと 思ひ候に、叔父様は早壱番かけにお上り、叔父様も昨日より腹痛むと仰られるに、 誠に大喰成事、直助と両人肝をつぶし候(略)

この後も日記が続きますが、この叔父様が面白くてそこだけ
チョイス(笑)日記には書いていませんが、2日前には煮ておいた
昆布を半分、この28日にも昼飯の昆布を取られた
と憤慨して
います。隣の長家に住む児玉さんより、高級なアジの干物
25枚が届けられます。明日の昼に食べようvVと意気揚々
して寝て、目が覚めたら・・・叔父様が食べちゃっていました!
しかも『朝一番にお上がり』です。昨日より『お腹が痛い』って
言ってた叔父様ですが食べちゃった!





9月20日
(略)拾六文のにんじ(人参)を安ゆえ煮置、ひさしく度に飯のさい(菜)にいたし 候はんと煮候ところ、叔父様の飯のさいになり、大方喰われてしまい、予一度の さいにもたらぬ程になり、やれやれ買置はこりごり、徳をせんとてすべて損し損し

人参安っす〜い!え?!16文!?買う買う!
煮付けてこれからのご飯のおかずにしようと思っていたら、やっぱり
叔父様に食べられちゃった!!(笑)





8月8日
(略)叔父様は今日よりまた血下り、大に気分悪敷候との事、直助は矢張り熱強、 (略)叔父様は昼飯はいけぬとて不喰、それより一ツ木え汁粉を喰に御出被成候、 痢病腹下り通しに候つき、少し喰物用心なられ候ハハ宜候に、何○むしやむしや よく喰うこと、色々申候えども、中々聞いれず毎々申も悪敷いかけにしいたし候(略)

同室の直助と叔父様の調子がすぐれません。
伴四郎のご飯の菜を横取りする、あの叔父様が御昼ご飯抜きですよ!!
どれほど重病なのか心配です。しかぁし、さすが宇治田平三。
お腹を下していても、一ツ木へ出かけてお汁粉を食べています(笑)
下しているんだから食べ物には注意した方が良い、という伴四郎の
正論を馬耳東風な叔父様はむしゃむしゃよく喰うんですよ。
もう一度言います。むしゃむしゃです(笑)
幕末の人が『むしゃむしゃ』なんて日記に書くなんて、それだけで
面白いなぁ〜。ってかこの時代にもこの言葉があったのね。





10月7日
(略)さて今日菊を見に参り候はぬやと申呉、三人共参り候約束致し帰り候、 しばらくありて参候とて身拵かかり候へは、予は米沢奥縞袴羽織も一番の 着り大立派に也かし、直助は寝巻のままに行候と申ゆえ、叔父様は初めて 行所、ことに衣文方と申、少きわめえも宜と申候えは(略)ぜひなく叔父様 と予参り候へは五三郎袴着て立出(略)

森五三郎という人が三人に『菊を見に行かないか?』と誘います。
いいね〜という事になったのですが、さて何を着ていくか。
気合いを入れた伴四郎は、米沢織の袴に上質な羽織を着て
「大立派」と自画自賛です。しかし直助は『寝巻き』のまま行く
というのです。
いやいや、ちょっと待ってくれ直助さん。
あなたの御職業はお殿さまの装束の担当ですよね?そんな貴方が
菊を見に行くのに寝巻きって!(爆笑)
食い物にルーズな叔父様もやはり膳奉行格衣紋方。
さすがに寝巻きはないだろうという事になり、寝巻きで出発予定
だった直助は留守番です(笑)当然誘ってくれた五三郎も
袴という、それなりの格好でした。
「寝巻き」姿の直助がいなくて一安心です。
なかなか言いますな、青木さんも(笑)






ここに記した日記はほんの一部です。
この本は、幕末当時の江戸の食べ物や藩邸での過ごし方、
行事などが分かり大変興味深いです。万延元年は井伊大老が
暗殺され、桂さんは大村先生を推挙し、また紀州と微妙に敵対
している水戸と同盟結んでいます。
長州視点で見る機会が多い幕末でしたから、結構諸藩もピリピリ
しているのかと思いがちだったのですが、おかずを食べられたとか
ご飯を炊くのが下手だとか言ってる人もいた訳ですよ。
政治活動する人もいれば、普通に日常を過ごす人もいるんですね。
そこのギャップもまた面白いですね〜。
是非、酒井伴四郎さんの日記を読んで笑って下さいませ☆(笑)
とくに今回参考にしました本の著者の文章が軽快で、随分と読み
易く笑えますヨ。


それにしても『鸚鵡日記』といい、伴四郎の日記といい、
面白日記を書くのは意外や意外、御三家ですね。
(『鸚鵡日記』の朝日文左衛門は尾張藩)



参考資料
『幕末単身赴任 下級武士の食日記』
青木直己著 生活人新書